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最高裁判所第一小法廷 平成5年(行ツ)128号 判決 1994年4月21日

福岡県春日市春日原東町三丁目三五番地

上告人

久保信一郎

右訴訟代理人弁護士

加藤達夫

岡崎伸介

新宮浩平

福岡県筑紫野市大字二日市七〇八番地五号

被上告人

筑紫税務署長 秋吉収

小沢満寿男

右当事者間の福岡高等裁判所平成四年(行コ)第一〇号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成五年四月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人加藤達夫、同岡崎伸介、同新宮浩平の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認し得ないではなく、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大白勝 裁判官 大堀誠一 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 高橋久子)

(平成五年(行ツ)第一二八号 上告人 久保信一郎)

上告代理人加藤達夫、同岡崎伸介、同新宮浩平の上告理由

第一 原判決は、上告人が株式会社富永建設に対して交付した二九六五万円が、上告人医院改装工事請負代金の前渡金ではなく、株式会社富永建設に対する貸付金である旨認定判断しているが、右認定は、経験則に違反し、理由不備の違法が存在するものである。

一 原判決の骨子

原判決は、次の事実関係をもとに、上告人から株式会社富永建設に交付された二九六五万円を株式会社富永建設に対する貸付金であると認定判断している。

1 久保桂子は、昭和五九年九月ころに木村松代と知り合い、同女を深く信用するようになり、上告人の医院の営業収入が昭和五八年、五九年と年間五〇〇〇万円を超える好成績であったことから、木村に右医院の改装の考えのあることを伝え、木村が桂子に株式会社富永建設代表者富永時義を紹介し、富永から、他の場所に医院を新築することを勧められたりしたが、結局その話は現実化しなかったこと。

2 桂子は、昭和五九年一〇月ころ、木村からの紹介で熊本相互銀行の担当者である海悦清英の訪問を受け、株式会社富永建設との間の医院改装工事の工事請負契約書(甲第一号証)及び右工事の見積書(甲第二号証)を提出した結果、同行は、上告人に対し、使途を「病院内部改装資金」として三〇〇〇万円の融資を決定したが、右改装工事については設計図も仕様書も作成されていなかったし、桂子も医院の改装の具体的内容を知らず、工事期間の診療活動をどうするのかについて全く考えていなかったこと。

3 右工事請負契約書記載の工事代金支払時期とは異なり、また、海悦は、請負代金の全額に近い前払いは特殊と感じながらも、昭和五九年一一月三〇日及び同年一二月五日にそれぞれ二〇〇〇万円及び九六五万円を融資実行し、その金員は、それぞれ同日にそのまま株式会社富永建設に渡ったこと。

4 株式会社富永建設は、昭和五九年一二月に上告人医院の厨房において改装工事をなしたが、それは同医院の全面改装の一環ではなく、甲第一号証の工事請負契約書または甲第二号証の見積書で予定された工事は全く着工されていないこと。

5 桂子は、昭和五十九年七月三一日に熊本中央信用金庫本店から、同年一二月二二日に肥後相互銀行下通支店から、昭和六〇年三月八日に肥後銀行東支店から、工事見積書を利用して、資金使途を偽ってそれぞれ五〇〇万円を借り入れていること。

6 株式会社富永建設は、上告人から交付を受けた二九六五万円を借入金をして経理処理をし、同社倒産前に数回三、四〇万円を上告人に届けており、また、同社倒産の際の債権者一覧表には、桂子が一般債権者として掲記されていたこと。

7 冨永時義は、昭和六〇年五月四日、桂子を債権者、自己を債務者とする債権額二三五六万四〇〇〇円の抵当権設定登記をしていること。

しかし、第一審及び原審を通じて、上告人が、一貫して主張してきたように、営業上の負債だけでも約九〇〇〇万円もの多額の借入金を抱えながら小さな産婦人科医院を経営する上告人が、知り合って間もない赤の他人である株式会社富永建設(富永時義ないし木村松代)に三〇〇〇万円もの多額の金員を借用書も担保もなく一時に貸し付けること等一般社会生活上およそ考えられないことである。それにもかかわらず、原判決は、このような事態が如何なる理由で、如何なる必要性の下でなされることになったのか等は全く一顧だにせずに、右判断をなしているものであって、原判決の認定判断が、経験則に違反し、理由不備の違法があることは明白である。

二 具体的検討

1 一1(上告人の経営する医院の改装に関する株式会社富永建設との話は現実化しなかったこと)について

上告人は、昭和五二年五月に、桂子の父平金安春を代表取締役とする平安ビル有限会社が上告人の開業用に買い取った本件ビルの一階部分を借り受けて改装し、ここに久保産婦人科医院を開業したものである。しかし、本件ビルは、上告人が開業して六年程した昭和五八年ころから、白蟻の被害で水漏れが発生するなどの状態となったため改修工事の必要性が出てきたものである。この改修工事の必要性については、証人海悦が、本件三〇〇〇万円を上告人に融資する際、その調査段階において、上告人医院を訪れて実地調査のうえ改修の必要性を判断し、上告人及び桂子及び株式会社富永建設からも事情を聞いているし(同証人尋問調書一〇ないし一四、二三、六〇ないし六三項)、さらに、冨永時義の証言及び供述によっても上告人医院の改修ないし新築の話があったことについては間違いなく、これは、まさに上告人医院改修の必要性があったことを前提とするものである。

すなわち、昭和五八年ころから上告人医院は白蟻の被害等で改修が必要とされており、その対策が必要とされていたことは否定しようのない事実である。そのような状況下で、多額の借入れまでして(乙第二三号証によると、熊本相互銀行花畑営業部からの本件三〇〇〇万円の借入は、その前にも後にも上告人及び桂子がなした一時の借入れ額として最も多額であることがわかる。)、ようやく改修工事資金を用意でき、上告人及び桂子は、医院がきれいになるということで非常に喜んでいたというのであるのに(証人海悦尋問調書二四項)、上告人医院の改修をせずにして株式会社富永建設に融資をすることが考えられるであろうか。右事実関係を素直に判断すれば、原判決が何等合理的理由なく医院の改装に関する株式会社富永建設との話は現実化しなかった旨判断したのは、経験則に違反するといわねばならない。

2 一2(熊本相互銀行の乙第一号証及び乙第二号証に基づく三〇〇〇万円の融資決定、設計図、仕様書の不存在存及び桂子の工事内容に対する認識)について

熊本相互銀行は、担当者海悦が上告人及び桂子並びに株式会社富永建設立ち会いの上、上告人医院を調査し、これを改修する資金として三〇〇〇万円の融資を実行したものである。これは、証人海悦(同証人尋問調書二一ないし二五、三八、三九、六三、七八項)及び証人桂子(同証人第一審第七回口頭弁論尋問調書一六二ないし一六八項)の証言から具体的かつ明確に認められるところである。

一方、上告人は、熊本大学大学院を卒業後、医者となり、一時は外務省派遣で海外に出ていたこともある学者肌の産婦人科医であり、桂子にしても美術系の大学卒業後上告人と結婚するまで特に実社会で働いた経験を有さず、上告人及び桂子は建築関係の取引に全く不慣れなものであった。上告人が上告人医院を開業するについても、桂子の父平金安春に本件ビルを準備して貰い、資金的援助の下で可能となったことから(証人桂子原審第四回口頭弁論尋問調書一二八ないし一三七項)、上告人及び桂子が、建築関係には明るくなかったことは明白である。そのため、上告人及び桂子は、株式会社富永建設に対して上告人医院の改修工事を依頼しても、その具体的な指示をすることもできず、なし得ることとしては、株式会社富永建設に対して、上告人医院の現状を見せて、株式会社富永建設に具体的内容を任せ、その判断に基づき、改修に必要な工事をして貰うほかなかったものである(証人桂子第一審第七回口頭弁論尋問調書一三一ないし一三四項、原審第六回口頭弁論尋問調書一二五、一二六項)。

一般に、建物建設関係の工事依頼をする際には、建築施工業者に対する信頼を下に、見積書に記載された工事の具体的内容は建築施工業者のイニシアチブのもとに決定されるもので、その工事のための金銭的準備が可能であるかどうかこそが注文者の最大の関心事項となるものである。まして、建築関係の取引に全く知識を有さなかった上告人及び桂子であればなおさらである。従って、設計図や仕様書が作成されていたか否かという事情は、あくまでも株式会社富永建設側が上告人医院の改修工事をする意思があったのかどうかに関わる一方的な事情に過ぎないのであるし、また、桂子が乙第二号証に記載されている工事内容を知らなかったとしてもそれは右事情に照らして当然の事態ともいいうるのである。

原判決が、一般的な建築業者と注文者との関係、さらに、本件での上告人及び桂子の株式会社富永建設との関係を何等考慮することなく、株式会社富永建設において設計図も仕様書も作成しておらず、また、桂子において乙第二号証の見積書の工事内容を知らなかったことを、上告人から株式会社富永建設に対する二九六五万円の交付が融資金であるとの認定に関する間接事実ととらえることは、経験則違反の違法があるといわなければならない。

3 一3(本件二九六五万円の融資実行と上告人から株式会社富永建設に対して右金員が交付された時期及びそれに対する海悦の認識)について

熊本相互銀行担当者である海悦は、昭和五九年一一月三〇日に本件融資の実行として上告人医院に二〇〇〇万円の現金を持参して上告人夫婦に持参し、さらに上告人夫婦は、その場で右二〇〇〇万円の金員を株式会社富永建設代表者である富永時善に交付したこと、さらに、海悦は、同年一二月五日、桂子に電話連絡の上、貸付金の内残額九六五万円を直接株式会社富永建設にに持参して交付したことは原判決認定のとおりである。また、工事請負契約書上(甲第一号証)は、請負代金の支払方法について契約成立時、内部壁工事完了時及び完成検査合格時に各三分の一ずつ支払うこととなっていることも原判決認定のとおりである。

そして、原判決は、同年一二月五日の融資金残額九六五万円の実行に際して、海悦は、請負代金の全額に近い前払いは特殊だと感じてていた旨認定している。しかし、証拠上明らかとなっている右融資実行の経緯は次のとおりである。

すなわち、海悦が担当した本件三〇〇〇万円の融資は、当時上告人医院の入院室が非常にいたんでおりそれを全面的に改装するとの上告人及び桂子並びに株式会社富永建設の話に基づくものであり、それを約一ケ月にわたって海悦が現実に上告人医院に出向くなどの方法で調査した結果のものであった(証人海悦尋問調書七ないし一七項、二三ないし二五項)。そして、甲第一号証及び甲第二証の提出後、熊本相互銀行は本件三〇〇〇万円の融資を決定した。甲第一号証の契約書上は、代金支払時期が三回に分けて支払う旨定められていたが、桂子及び株式会社富永建設から材料を早く買えばそれだけ安く材料が手に入るとの説明を受け、そのために融資実行を早くするよう求められたため(同証言証書三八ないし四二項)、桂子の父が同行の大株主であったことや、材料費が安くなるとの事情を考慮して、昭和五九年一一月三〇日、同年一二月五日に本件融資を実行したというものである(同証言調書八〇項、八五項)。海悦としては、確かに、全額に近い請負代金の前払いは常時あることではない旨証言しているが、それには右のとおりの合理的理由が存在し、それを海悦が理解した上での本件融資金全額の実行であったのであって、決して疑問を持ちながらも融資を実行したものではない。

むしろ、原審認定を前提にすると、桂子は父が大株主である銀行を欺罔して契約書とは異なる工事資金の支払方法を偽装し三〇〇〇万円もの多額の金員を一時に引き出したことになるが、そのようなことが通常ありうるのであろうか。もっとも、株式会社富永建設の資金繰りに窮していた富永や木村が、海悦や桂子に材料費を早期に調達する必要性を説いて同社の運転資金を調達しようとしたことは十分に窺われるところではあるが、そのような不当な行為に桂子も加担していたなどという事情は記録上一切窺われないのである。

仮に、事実桂子が本件融資金を株式会社富永建設に貸し付けようとの考えを持っていたのであれば、甲第一号証の工事請負契約書の代金額をさらに多額にするか、代金支払方法を株式会社富永建設に金員を交付する時期にあわせて記載していればよいことであって、わざわざ、三回に分けて一八〇〇万円ないし一九〇〇万円の支払いをする旨の代金支払い時期の記載のある契約書を作成し、その代金支払い時期と異なる融資実行を求める必要性など全くないのである。

原判決は、特段の理由なく、株式会社熊本相互銀行から上告人に対する本件融資実行と甲第一号証に規定された代金支払い時期の相違を、上告人から株式会社富永建設に交付された二九六五万円の性質が貸付金であるとする間接事実の一つととらえているが、右の点からすれば、むしろこれは、株式会社富永建設への融資金ではないことを推認させる事情というべきである。

4 一4(株式会社富永建設のなした上告人医院の厨房改装工事は同医院の全面改装の一環ではなく、甲第一号証及び甲第二号証の見積書で予定された工事は全く着工されていないこと)について

株式会社富永建設が、上告人医院の全面的な改修工事を完成させないままに倒産し、結果として、上告人医院の全面的改修工事がなされていないことは事実である。問題は、上告人医院の厨房部分を株式会社富永建設において改修工事を一部なしたが、これが、上告人医院の全面的改装工事の一環というべきか否かである。

この点、原判決が重要な事実を見落としているのは、昭和五九年一一月一日時点で、「工事の準備が若干なされ、機械類が若干入っていた」という事実である(証人海悦尋問調書五二項、六七項)。すなわち、甲第一号証に基づく上告人医院の改修工事は、昭和五九年一一月一日当時において建築機械類が入り今にも着工しようとしている状態であったことが推認されるのであって、同証人が、上告人医院の工事が、実際には厨房部分から始まった、やっと工事が始まったという感じであったと証言しているのは(同証人尋問調書五一ないし五五項)、まさに、上告人医院を一ヶ月以上にわたって調査した第三者の目からみての素直な感覚であったのである。

上告人医院厨房部分でなされた改修工事については、乙第一五号証の領収書が存在しており、上告人医院の全面的改装工事とは別途の申入による工事であるとの印象を与えるが、結局これは、上告人医院の全面的改修工事計画には当然厨房部分の改修工事も含まれるものであるのだから、この全面的改修工事計画が立ち消えになり存在しないこととが前提となるはずである。しかるに、昭和五九年当時上告人医院の全面的改修の必要性があったことは前述のとおり間違いのないことであって、そのための資金的裏付けがなされているのに全面的改修計画が立ち消えになって現実化しないという事態が全く不合理であり、この点に関する原判決が経験則に違反した違法な判断をしていることは前述のとおりである。上告人医院の経営状態が資金繰りに窮している状態にありながらも営業成績が上がり、ようやく全面的改修のための資金調達が可能となり実行できるようになっていながら、別途厨房のみの改修を株式会社富永建設に注文することは全く考えられないのである。

一部開始された上告人医院の厨房部分の改修工事が同医院の全面的改修工事とは別個のものであるかどうかは、全面的改修工事との関係で判断されるべきであって、そうすると、右のとおり、厨房部分でなされた改修工事が上告人医院の全面的改修工事とは別途の申込による工事であるとの認定は経験則に違反した違法なものといわねばならない。

5 一5(桂子が熊本中央信用金庫等から資金使途を偽って借入れをなしていること)について

桂子は、昭和五九年七月三一日、同年一二月二二日及び昭和六〇年三月八日にそれぞれ熊本中央信用金庫、肥後相互銀行、肥後銀行から各五〇〇万円を資金使途を偽って借り入れている。

しかし、本件熊本相互銀行からの借入は、金額が三〇〇〇万円という多額なものであって、このような多額な借り入れを上告人及び桂子が一時になしたのは、前にも後にも本件借入しかないものである(乙第二三号証)。これに対して、資金使途を偽った右三つの借入についてはそれぞれの借入金額が五〇〇万円というものであり、これと本件借入とを同列に扱うことは不可能である。

上告人及び桂子は、昭和五九年時点で産婦人科医院経営成績が良好となったといっても、負債額が約六〇〇〇万円(昭和五九年期首)ないし約九〇〇〇万円(昭和五九年期末)あったために、上告人医院の運転資金として銀行からの借入をなすことが不可能であったので、右のような三つの資金使途偽った借入をなしたものである(証人桂子原審第四回口頭弁論尋問調書九項以降)。

そうすると、右三つの上告人の銀行からの融資金が資金使途を偽ったものであったとしても、本件融資金は金額がはるかに多額であることに加え、上告人医院の改装資金が必要とされ、その話が銀行員立会いの上具体的に進められていた状況下での右金員の交付であって、右三つの資金使途を偽った借入と本件借入とは異質なものであることを原判決は全く考慮していない。原判決は、右三つの借入と本件借入とを同質なものととらえて、本件の上告人から株式会社富永建設に対する二九六五万円の交付が同社に対する建築工事代金の前渡金ではなく融資金であると認定しているものであり、この認定には、経験則違反、理由不備の違法がある。

6 一6(株式会社富永建設の経理処理、上告人に対する数回の三、四〇万円の支払い及び同社倒産の際の債権者一覧表の記載)について

株式会社富永建設は、上告人より交付を受けた本件二九六五万円を借入金として処理しているが、これは、株式会社富永建設側の一方的事情であるとともに、冨永時義は、本件の二九六五万円を借入金と供述ないし証言しているのであるからむしろこれは当然のことである。本件で問題なのは、そのような株式会社富永建設の経理処理が、上告人及び桂子の了解済みのことであったのか否かである。上告人医院の当時の経営は資金繰りに余裕のある状態ではなかったが、右医院改装の必要性があったために、上告人は、改修工事資金として、経験したことのない多額の借入れを行い、これを株式会社富永建設に支払ったものである。一方、上告人において株式会社富永建設に対する融資は何等必要性のないことであるとともに、株式会社富永建設から借用書も担保も取っていないのである。これら本件の一連の事情に照らせば、右の如き株式会社富永建設の経理処理についての上告人及び桂子の了解が認められない限り、本件の二九六五万円の交付は株式会社富永建設に対する右医院改装工事代金の前渡金と認定すること以外、経験則に合致した合理的認定は不可能である。

原判決は、右の如き株式会社富永建設の経理処理を掲げてこれを株式会社富永建設に対する貸付金と認定する間接事実ととらえているが、右経理処理に対する上告人及び桂子の了解如何を全く考慮していない点で、経験則違反、理由不備の違法がある。

また、株式会社富永建設倒産の際の債権者一覧表には、桂子が一般債権者として掲記されていたことは事実であるが、桂子は当社倒産の債権者集会の通知すら受けておらず、右債権者一覧表は桂子及び上告人の全く関知しないものである。この記載が本件二九六五万円の性質の認定判断について何ら意味を有しないことは明らかである。むしろ、このような債権者集会を開催した株式会社富永建設こそ、上告人及び桂子に対して同社の経理処理を隠ぺいせんとする必要性があったことを推認させるものである。

そして、原判決は、株式会社富永建設において、倒産前に数回三、四〇万円を上告人方に届けているとして、上告人の三〇〇〇万円の熊本相互銀行からの借入金の元利金の支払月額が三五万六九二七円であることと関連づけ、これまた本件二九六五万円が株式会社富永建設に対する融資金であることの間接事実にしようとしている。しかし、同社倒産前の数回の三、四〇万円の支払は、専ら冨永の供述及び証言によるものであるが、その信用性を肯定することは同人の地位を考慮すれば明らかな誤りというべきなのである。

すなわち、冨永時義は、上告人病院の改修工事をほとんど実行することなく株式会社富永建設を倒産させたものである。本件の二九六五万円を上告人より受け取ったとき、既に株式会社富永建設は、銀行からの借入もなしえず、また、上告人医院の改築工事もまともにはなしえない状態になっていたことものであって、敢えて上告人や桂子さらに銀行員にまで上告人医院の改修工事をするとか、資材を安く買えるなどと言いながら、株式会社富永建設の営業運転資金を上告人から引き出したものである。そのために、富永は、本件二九六五万円を株式会社富永建設の営業資金として受け取ったものであり、これは上告人及び桂子が了解済みであるとの趣旨の証言ないし供述をする以外に自己のなした詐欺的行為を秘匿する方法はなかったものであって、敢えて、一貫した虚偽の供述ないし証言をしていること明白である。かかる同人の地位を考慮すれば、その供述ないし証言が全く信用できないことは明らかであり、その点を考慮することなく、専ら冨永の証言ないし供述をもとに、株式会社富永建設が同社倒産前に数回にわたって三、四〇万円を上告人方に届けた旨原判決が認定したのは理由不備の違法があるというべきである。

加えて、株式会社富永建設が上告人方に届けていたという三、四〇万円が、上告人に対する借入金の返済の趣旨であると考えると、上告人及び桂子は熊本相互銀行に支払うべき元利金とほぼ同額がそれより低額の返済を同社から受けていたこととなる。如何に上告人及び桂子が取引に明るくない人物であったとしても、このような不利益であり割にあわないこと明白な融資などおよそ考えられるものではなく、その内容においても冨永の証言ないし供述の信憑性がないこと明らかである。この点からしても、原判決は如何なる考えのもとに冨永の証言ないし供述の信用性を判断しているのか全く不明であり、原判決には理由不備の違法がある。

7 一7(冨永時義所有地に設定された抵当権設定登記)について

この点は、抵当権設定登記が昭和六〇年五月四日受付で、本件二九六五万円の授受時より相当後になされたものであること、その時上告人及び桂子は、住友英治より木村に騙されているので、どうにかしてやると告げられ、住友の言うがままに債権保全の意味で抵当権登記手続に関与したにすぎないものである(証人桂子原審第七回口頭弁論尋問調書二五九ないし二七三項)。従って、右抵当権の設定は、本件争点を判断するについて何等意味はないというべきである。

三 以上、原判決の具体的問題点について検討したが、要するに上告人が強調して主張したい点は、次のとおりである。

すなわち、上告人病院の全面的改修工事の必要性があったこと、そのための改修工事計画が存在したことも間違いのない事実である。上告人及び桂子は、木村の紹介で熊本相互銀行に本件の三〇〇〇万円の融資を申し込んだため、同行担当者である海悦が上告人及び桂子、木村、冨永と面接し、さらに、上告人医院を具体的に実地調査して全面的改修工事の必要性が存在し、建築機械類が搬入されていたことを確認した上で、同行は、本件三〇〇〇万円の融資を決定し、これを実行したものである。上告人から株式会社富永建設には、甲第一号証の代金支払時期とは異なる時期に金員が交付されているが、これは、株式会社富永建設より桂子及び同行担当者海悦に対し、材料を早く買えば安く材料を入手できるとの事情を告げられ、これを考慮して海悦が早期に本件三〇〇〇万円の融資を実行したからに他ならない。反面、上告人及び桂子に株式会社富永建設に対する融資など全くその必要性も理由もないことであり、当然のことながら、上告人から株式会社富永建設に対する本件二九六五万円の金員の交付に関して、担保もなく、保証人もなく、借用書も存在しない。加えて、上告人及び桂子が三〇〇〇万円もの一時の借入をなしたことなど本件以外に一切ないのである。

原判決の認定判断を前提にすると、上告人及び桂子並びに株式会社富永建設が共謀の上で、銀行を欺罔して三〇〇〇万円もの金員をほぼ一時に引き出し、それをそのまま上告人が株式会社富永建設に貸し付けたこととなるが、このような不当な行為を上告人及び桂子がなす動機も必要性もない。本件証拠上認められる一連の事実関係の下で、如何なる邪推を働かせれば原判決の認定となるのか上告人としては全く理解できないのである。

以上から、原判決は、上告人から株式会社富永建設に交付された本件の二九六五万円が上告人医院の改修工事代金ではなく、同社に対する貸付金である旨認定判断したが、かかる認定には、経験則に違反し、かつ、理由不備の違法がある。

第二 原判決は、上告人の昭和六〇年分の地代家賃の申告について、本来経費には算入できない居住用の分が含まれているものと認めるべきであり、右家賃を面積で按分して経費に算入できる部分以外を否認した被上告人の判断は正当である旨述べる。その理由としては、上告人家族が本件ビルに入居するに至った経緯、昭和六〇年分以前の地代家賃の申告では必要経費算入部分とそれ以外とを分けて申告していたこと、居住用の部分は無料であると認識していた桂子がこれを平安ビル代表者であった父平金に確認したことはなかったことがあげられている。

原判決は、上告人家族が本件ビルに居住するに至った経緯について、上告人家族が上告人の産婦人科医院開業後、しばらくは本件ビルに隣接する桂子の父母の自宅に居住していたところ、子供の成長に伴って手狭になるなどの理由から、空室で倉庫代わりなどにしていた本件ビルの二階部分の一部を整理して子供らの居室にし、その後上告人夫婦もこれを利用することになった旨認定しているが、これは正当である。

ところが、原判決は、このような本件ビルへの入居の経緯を認定していながら、上告人の支払家賃の中には、二階部分の家賃も入っている旨の判断をしているが、右の経緯に照らすと、上告人として、特段平金より本件ビル二階部分の使用についての家賃を請求されない限り、これを只と認識して本件ビルの家賃を支払うのが当然であるというべきであり、また、平金としても、上告人家族が二階部分を使用し始めることに対して何等文句をいうこともなく、これを黙認していたのであるから、これに対して家賃を取ろうという考えは生じなかったものというべきである。そして、上告人が、本件ビルを利用するについてその根拠となるべき乙二一号証にも、契約物件としては、「ニューパレスホテルの内一階の全部」と記載されており、この他に、二階部分の賃貸借契約書も存在していないものである。

原判決は、以上の事実関係を全く無視した上で、上告人の昭和六〇年分の地代家賃の申告について、本来経費には算入できない居住用の分が含まれているものと認めるべきである旨認定したが、これには、経験則違反、理由不備の違法があるものである。

第三 以上、第一、第二いずれの点についても、原判決には、経験則違反、理由不備の違法があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄されるべきである。

以上

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